新築注文住宅を検討中のあなたへ★なぜ?いえのわでは自然素材の家を造るのか???(ちょっと長い文章ですが是非お読みください!) 代表(一級建築士)高橋芳人 ■いえのわはタカハシ木材style株式会社の住宅建築部門です。 当社は亡き祖父が昭和23年に「高橋製材所」として宮城県松島町に創業いたしました。 私、高橋芳人が生まれた昭和46年に「株式会社高橋木材家具店」へと法人化し、 木材販売、木の家具販売、家づくりと言う現在の形態に至ります。 私の代で3代目となり、ここ松島にて創業70余年を迎える事ができました。 地域密着という言葉を身に染みて感じ、創業以来支えて下さった地域の皆様に感謝しております。 ■気が付けば木と共に 幼いころ木材倉庫が私の遊び場でした。 家具や建具職人さん、サッシ屋さん、木材製材の職人さんの子供たちと一緒に、 原木置き場(丸太置き場)や木材倉庫で、 日が暮れてまっ暗になるまで木と共に遊び続けていた思い出があります。 鬼ごっこ、缶蹴り、かくれんぼ、秘密基地 など、いつも原木置き場が遊び場でした。 幼いころ木材倉庫が私の世界の中心でした。(笑) ■木と父と現場と職人さん。そして僕 製材機に乗り厳しい顔つきで丸太を板や柱に製材し、 黙々とトラックに積み込んで住宅の建築現場へ配達する。 それが幼い記憶の中の父の姿。 そしていつも父からプンプン漂う木の香り。 小学校が休みの日は、 父の運転するトラックの助手席に乗せてもらい、 一緒に配達に行ける特別な日でした。 配達先の大工さんや職人さんに 遊んでもらったこともありました。 今思えば、いつも邪魔ばっかりしていました。 倉庫でふざけて大怪我をし、大声で泣いた思い出、大きな口で笑った思い出。 その中にはいつも住宅の現場、職人さんの笑顔、 丸太と父から香る木の香りがありました。 ■ぼんやりとした家づくり そんな私にも高校への進学を考える時が来ました。 材木屋の長男として生まれた為か、 いずれ私もこの仕事をするものだとぼんやりと思っていました。 幼い時から野球に熱中していて、 どのような学校で何が学べばよいのかなど全く感心の無かった私は、 インテリア系の学校に入りたいと父に伝えたのですが、 「お前は建築科のある工業高校に入りなさい」と言われました。 その時の父が、何をもって建築科を勧めたのかは分かりませんでしたが、 父の今までにない無言の気迫のようなものを感じ、 父の言われるままに工業高校の建築科に入学しました。 今思えばそのことが、今の家づくりの原点だと思っています。 ■ゼネコンへの就職。でも忘れられない住宅の現場とあの香り 工業高校を卒業後、仙台市内に本社のあるゼネコンに就職し、 店舗やオフィスといった鉄骨造やコンクリート造を中心に現場監督として働き、 二級建築士、ニ級建築施工管理技士の資格を取得させて頂きました。 機能的でコスト優先の建物作りの毎日でしたが、 子供の頃の住宅現場の思い出、木の香りが忘れられられず、 建築を一生続けるならば「自分自身の求める住宅を造って行きたい」 「自分で木材まで選べる家業を継ぎたい」と強く考えるようになりました。 その頃は、まだまだどんな家が良い家なのかわかっていませんでしたし、 景気が落ち込む時期でしたので、父からは 「まだゼネコンにお世話になっていなさい」と言われましたが、 どうしても家づくりをしていきたいという私の強い意志で、 戻る決意をしました。 建築科への進学の時は父に素直に従いましたが、 この時は、私の決意のほうが強かったようで父も最後には許してくれました。 父親となった今、当時の父親の気持ちがよくわかります(笑) ■住宅建築のために一から勉強し直し、より上の資格の取得 実家に戻り、家づくりをはじめようと決意したからと言って すぐに仕事があるわけではありません。 地域の方の信頼も祖父や父が築いたもので、 近所は皆子供の頃から知っている人ばかりでガキ扱いの私に仕事を頼む人なんて居ません。 ましてや住まいともなると一生に一度と言われる大仕事ですから当然の事だと思います。 それに住宅はオフィスや店舗と異なり設計や施工手順、打ち合わせも繊細なものとなります。 そのため住宅系の建築設計事務所に2年ほど勤め基本から学び直し、 在籍中に不動産の資格である宅地建物取引主任者を取得。 建築の最高資格も取得し信頼してもらう必要があると考えて、 二級建築士から一級建築士をめざし必死で勉強しました。 高校時代は、甲子園を目指して野球ばかりしていて、 正直勉強はあまり好きでなかった私ですが、 この時ばかりは自分でも信じられないくらい必死に勉強しました。 (資格を取ることが自分の仕事と思って勉強していました) その甲斐あって一級建築士と一級建築施工管理技士 の両方の資格を取得することができました。 その時、やっと新しい自分のスタートラインに 立つことができたと感じた事を、今でも忘れられません。 ■木材店から家づくりへ 平成11年に一級建築士事務所を開設し、 当初は住宅設計のみを行っておりましたが、 当時今ほど住宅の検査は厳しくなく、 施工の質も今ほど高いもでなく、欠陥住宅が社会的な問題となっていました。 元々現場監督あがりの私は、その現実に怒りを感じ、 設計から完成まで自分の目でしっかりとした施工がしたくなり 設計管理と現場監理を行うように方針を変えました。 そのために平成12年に建設業登録し、 当時の10年保証住宅の登録店にもなりました。 また、以前から取得していた宅地建物取引主任者の不動産業の業者登録を行い、 現在は、タカハシ建築工房として、自然素材の注文住宅建築、リフォーム などを土地の相談から住まいの建築まで一貫して取り扱えるようにしています。 ■甘かった住まいの気遣い このようにして、ちょっとづつ歩き始めたタカハシ建築工房でしたが、 数年後「シックハウス」が社会的な問題となり、世間を騒がせました。 幸いな事に弊社のお客様にシックハウスの症状は無かったのですが、 タカハシ建築工房でもビニールクロスや合板フローリングの家を作っていたので、 とってもショッキングなニュースでした。 正直言うと、アレルギーやアトピー、喘息などはあまり気にしていませんでした。 とにかく、他の業者と同じような家を普通に作れば、 お客さんは満足してくれると思っていました・・・・・ その甘い考えが、お客様や自分の子供たちにも 好ましくない影響を与えてしまう可能性があるなんて 考えても居ませんでした。 ■新たな家づくり、きっかけは木の家具 弊社は家具のお店もやっています。 以前は、普通のどこの町にもある一般的な家具屋でした。 そして、家具業界も低迷が続いていました。 世の中にシックハウスのニュースが流れる中、 とあるお客様から、 「子供がアトピー、アレルギー体質なので、無垢の板で家具を作って欲しい」 と頼まれまたのです。 健康は住宅だけでなく家具も関係してくるんだ・・・ お客様からの相談でハッとしました。 元々が材木屋ですから、加工されていない自然の木は山のようにあります。 父が数十年大切に乾燥させていた木材を倉庫から引っ張りだしてきて、 杉や桧、欅や桐などの無垢の板に自然塗装で仕上げました。 子供の頃遊んだ倉庫にあった木は、 父が寝かせて乾燥させていたものだったのです。 そのお客さんは、アレルギー対策した自分だけのオリジナル家具の出来上がりに とっても満足し、どこの店にも無いものだと大変喜んでくださいましたました。 私も、家具職人も、木を大切に保管していた父も嬉しくてたまりませんでした。 「そっか、自然な無垢の木で家具や住まいを作れば、アトピーやアレルギーで悩む お客さんに満足してもらえるんだ!」 「幼い時から共にあった木や職人が集まれば皆で人様の役にたてるんだ」 とその時改めて思いました。 本物の自然素材を使い、空気のきれいな家を、心が癒される家を、 健康で家族が明るく幸せに暮らせる家を、無用な病にかかる必要のない家を作っていこう! これからの住まいは施工だけしっかり見ていてもダメだ。 これが私の住まいに対する考えを大きく変えさせた出来事でした。 ■東日本大震災で学んだ事 自然素材の家、自然を大切に使う家づくりを目指していましたが、 自然というものは時に残酷なものでもありました。 今でもまったく忘れる事ができない、3月11日のあの東日本大震災。 街は揺れ、古家は崩壊し、道路は崩れ、津波は倉庫脇の河口を大きな音を立てて さかのぼっていきました。 私たちは高台に避難して難は逃れましたが、本当に多くを奪っていきました。 津波で被災してしまった家はありましたが、 幸いタカハシ建築工房のお客様の家は、地震での大きな被害はありませんでした。 利益を優先させるよりも、しっかりとした施工を優先させておいて良かったと思っています。 その後は、修理の依頼や津波をかぶった住まいの復旧以来が多く、 少しでもはやく復旧させようと、ほとんど記憶が無いくらい1年半ほど必死になっていました。 その中で感じた事は自分の考えが間違っていない事。 しっかりした施工としっかりした設計の建物は被害も少なく 修理にかかる費用も時間も少ないと言う事。 家を建てる時ほんの少し高く感じるかもしれないけれど、 しっかり作っておいたほうが、万が一の場合の復旧のコストと時間が少なくて済む。 最終的にはお客様の負担も少なくお客様のためになったと言う事です。 もしかしたら、コスト的に無駄かもしれないと、迷いながら作っていた 健康で頑丈な家づくり、自分の家族を安心して住まわせる事ができる家づくりが、 私のお客様に対して間違っていなかったと確信しました。 ■胸を張れる新たな家づくりへ 家具から教えられた健康に配慮した家づくり。 震災から改めて学んだ丈夫でがっちりした家づくり。 自分の子供にも家族にも胸を張れる家づくり。 本物素材でつくる安全で安心な暮らし。 工業高校へ進学した頃のぼんやりとした家のイメージから試行錯誤の20数年、 家族をもち、大きな出来事の末に、 やっと良い住まいが何であるか見えてきたような気がしています。 いえのわは亡き祖父から始まった小さなファミリー企業です。 なので、夢見心地になってしまう大きくて豪華なモデルハウスはありません。 お渡しできる豪華なパンフレットやカタログもございません。 物足りないとお感じになりましたら本当にごめんなさい。 しかし、私たちの自慢は、建てたお客さんが本当に喜んでくれていること。 家づくりを通して、親戚や友人のようなお付き合いをさせて頂いていることです。 モデルハウスよりもお客様の生の声を聞いて欲しいのです。 モデルハウスはありませんが、私たちと一緒に家づくりに挑戦された お客様の実際のお宅をご案内することが出来ます。 家づくりの先輩として、良かった事、悪かった事、ああすれば良かった、 こうすれば良かったなどの、展示場では聞けない生の声を聞かせて頂くこともできます。 【自分が住みたい家、家族を住ませたい家】 お客様の家も、自分の家のように考えるから出来る 「本物」の良さを知って頂きたいのです。 大々的なキャンペーンや値引きはやっていません。 同じ品質の住まいを提供しているのに、 キャンペーンの時に家を建てた人、 それ以外の時に建てた人に価格差が出るのは、なんかおかしな気がするからです。 ですから特別価格もありません。 【自分が住みたい家、家族を住ませたい家】と考えるから、 本物を正当な価格で提供しています。 【自分が住みたい家、家族を住ませたい家】 が 【お客様、ご家族みなさんの幸せの家】 となるよう、 とにかく一生懸命に家づくりをしています。 当社に安心してお任せください! 私たちが、責任をもって家づくりのお手伝いをさせて頂きます。 タカハシ建築工房一級建築士事務所/タカハシ木材style株式会社 代表取締役(一級建築士) 私に直接届くメールアドレスです → tmk@asahi.email.ne.jp この経験から生まれた「失敗しない家づくり究極の9ヶ条」、 この小冊子も多くの人の役にたってもらいたいという思いで配布しておりますので、 送付希望の方は、「小冊子送れ!」とご連絡下さい。(宮城県内限定です) ↑ここから詳細がご覧になれます。 当社の工事仕様が早分かり出来る自然素材の家づくり資料と、 読み応え十分の(A4サイズ24ページ)の建築実例集が出来上がりました~。 家づくり小冊子、情報誌と共にこちらからお申込くださいね! ↓↓↓ メール以外のお問い合わせは↓からお気軽にお願いします。 ハガキの方は 〒981-0215 宮城県宮城郡松島町高城字町138 TELの方は 022-353-2253 タカハシ携帯直通は 090-1936-0889 FAXの方は 022-353-2263 ホームページへリンク ホームへ戻る |